微妙にスッキリ
別にトイレに逝ったワケでは無く、昨日に引き続きアマゾンをウロウロしてて
ウィンダリアを見つけてカートに放り込んだ時だ。
レビュアーの一人が書いていた論評に激しく同意したからである。
何と言うか、昔から漠然と考えていて、でも上手く言葉に表せなかった思考を
サクっと明快な言葉で代弁してくれてるようで、「あーなるほどね!」と。
以前から思ってた
「なんで最近のアニメってつまらねーのかなー」
という漠然とした疑問というか感情に対する一つの答えなのかな、と。
いや、もちろん最近のアニメでも面白い作品(面白そうな作品)はあるけどさ、
たまにテレビつけるとやってるガンダムなんとかとか、どーなのよソレって感じではある。
過去を美化しすぎなのか?
以下引用
あの「天空の城ラピュタ」と同時期にひっそりと公開された映画。まだ日本アニメがギリギリで純国産だった頃の作品で、最近のセルアニメが同じカットの使い回しや止め絵、漫画的デフォルメなどで時間稼ぎをしているのに対し、これは基本的にそういう見窄らしさを感じさせることはない。
キャラクターデザインのいのまたむつみの絵柄は1990年代以降のアニメキャラの直接のルーツの一つと思われるが、近年のキャラデザイナー達と違って同人誌文化を経験していないからか個性を失っておらず、「どこかで見たようなキャラ」という印象を受ける事もない。背景美術も丁寧で、海の街イサ、山の街パロ、そしてウィンダリアの樹の質感描写は見事である。
ストーリーはシンプルでまさに「童話めいた」ものだが!、脚本の藤川(「宇宙皇子」の作者)も脂がのった時期であったこと、上述のような丁寧な作りがなされていることで作品世界の奥行きは確保されており、何度も繰り返しての鑑賞に足る佳作である。日本アニメの制作者の中心はこの後しばらくしてコミケ世代に移り、アニメで育った者が同じアニメファンに向けて作る、つまりあらかじめコードを共有した人々のサークル内での生産と消費に移行していった。それは楽屋落ちやパロディ、引用といった安易な演出の濫用を招き、アニメという枠組みの外では到底評価出来ないような安物ばかりが生み出されるという結果を引き起こした。そういった観点からこの作品を見ると、マニアでない人間が作ったアニメの良さを再評価すべき時期なのではないかと考えさせられる。
主題歌はアマチュア時代の新居昭乃のデモテープを聴いた音楽監督の門倉が即決で採用を決めたというエピソードを持つ極めつけの名曲で、エンディングでこの曲が流れだすタイミングは絶妙としか言いようがない。見終わった後もしばらく席を立てなかった映画というのはこれが初めてだったと思う。